1271年(文永8年)9月12日、
幕府の勘気にふれて捕らえられた日蓮聖人は裸馬に乗せられて
江ノ島片瀬にある 龍の口(たつのくち)刑場へと引かれていったのです。
その途中、老婆(桟敷の尼)が護送される日蓮聖人に
「ゴマ入りのぼたもち」を捧げたことにより
奇跡的に処刑を免れたという伝説が残されています。
また、鶴ヶ岡八幡宮にさしかかったとき、
日蓮聖人は大声で「八幡大菩薩はまことの神か…」と、
法華経の行者を守る役目を果たすよう叱りつけました。
源氏の氏神を叱りつけたのですから、
役人はびっくりして、あわてて馬を引き立てました。
知らせを聞いた信者の四条金吾(しじょうきんご)さんは、
一緒に死ぬ覚悟で駆けつけ、いよいよ首を斬ろうと、役人が刀をかまえたとたん、
江ノ島の方角から不思議な光の玉が飛んできて、
役人は驚いて逃げ去り、処刑どころではありません。
「日蓮の首斬れません」という早馬が鎌倉に向かい、
鎌倉からは「日蓮の首斬るな」との連絡が小さな川で行き合い、
その川は「行合川」(ゆきあいがわ)と呼ばれています。
藤沢市の片瀬、龍口寺で行われる「龍口法難会」は、9月11日~13日。
特に盛り上がりをみせるのは12日の夜。
境内には露店が建ち並び、万灯が奉安され、法要が終わると
名物の「ご難ぼたもち」(難除けぼたもち)が堂内にまかれます。
土のついた「ぼたもち」ほど、
宗祖日蓮聖人のご利益にあずかれると伝えられてきました。
これは桟敷の尼がご供養しようとしたぼたもちを、
役人が「何をするか」と叩き落とし、
それでも尼が土のついたぼたもちを拾ってなお日蓮聖人に渡そうとした。
これを何回繰り返したかわかりませんが、
この行為がご難のぼたもちの由来となっています。
私の妹は「それで日蓮聖人は土まみれになったぼたもちを食べたの?」と
毎年、ぼたもちを作りながら私に訊きますが、
信者さんを大切にされた日蓮聖人ですから、
命拾いをしたその後にどなたかが運んできてくれていたら
桟敷の尼のお心を察しながら召し上がったのではないかと思います。
法典寺でも朝に住職が法難会(ほうなんえ)のお経をあげ、
ゴマとアンコのぼたもちが作られ、本堂の日蓮聖人と仏壇にご供養されました。
そしてそのご相伴にあずかれるのは9月12日にお参りにいらした方だけです。
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