法典寺には日蓮聖人が開眼された客人大明神(『庶民信仰と法典寺』参照)が安置されていました。霊験顕かな尊像として広く知られ、人びとの厚い信仰が寄せられていました。
その縁起によると
「当寺に安置し奉る客人大明神は、伝え聞く往昔文永3丙寅年、吾祖大士(日蓮聖人)鎌倉を発足ありて身延山に入らせ給うとき、甲州勝沼(山梨県)を過ごさせ給う。爰に一老僧道の辺りに立ちて快然として吾祖の袂を引く。高祖その由を問い給う。老僧語りて曰く、昨夜霊夢を得たり。明神此処に御鎮座ありて久しく法喜食を得させ給わず。幸いに上人の法楽を願うべしと。これによって今朝より待ち得たり。憐憫大悲のこころを垂れ法味を捧げ給えと乞う。吾祖曰く、明神は誰れとかする。老僧の曰く、客人明神なりと。吾祖曰く、霊神は疇昔(むかし)日枝山(比叡山)に影響ありしとき、妙理権現を相応和尚(831~918)に命じて迎えしむとき、賓客の号あり。故に客人大明神という。今また道連を賓客とし給うか。倩ら案ずるに去る頃に天下遊学の砌り、帝都(京都)横川常光院にして日々異なる人を見る。月をなして三十神(三十番神)となる。是れ同宗守護の番神なり。殊に日蓮が化導も既に功成りて名遂ぐる。是れ偏に明神の末法一乗の行者を保護あるや。何そ法味を備えて老僧の望みにまかせざらんや。爰において村翁、某しに命じて社祠を造営せんとして、御開眼の式を調え客人大権現と勧請し給う。爾来五百年、その地墟となること久しくて厥(その)祠も亦た廃しぬ。唯尊影のみありて御利益無窮なり。豈(あに)霊神の衛護にあらざんや。余(日繁上人)、彼の地(甲州勝沼)に住すること久し、たびたび此の霊神を拝し発願すること一として成就せずということなし。遠近の村民皆しるところなり。而に此の地(江戸法典寺)へ転住の砌り志願す、如是箸鋪霊神、東都(江戸)に社を移し、旦暮に法味を捧げ神明の冥慮を祈らば、広大の利益を施さんものと誓いて此の地へ移る。星霜相積りて十有余年なり。然りといえども化他の大悲今にやまず。終に今般一小社を造建して、彼の村翁に告げて尊躰(体)を此の地に移し、不肖が志願已に満足す。重ねて、こいねがわくば国家永寧にして法音常に断えず。且つ一切衆生をして安穏の楽および涅槃の楽を得せしめんと。これまた不肖が志願なり。願くは四方の信男信女無始遠之罪障を消滅して、諸将商人斉持重宝の利益を得せしめ給えと尓云。
維時宝暦三癸酉年
高林山
日繁と有之(これあり)
拾一代
『客人大権現略縁起写』(国立国会図書館所蔵)
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