略年譜

和暦 西暦 出来事
天正18年 1590年

徳川家康、江戸へ入部

慶長 8年 1603年 江戸幕府ひらく
寛永 7年 1630年

身延山久遠寺と池上本門寺の対論行わる(身池対論)

寛永 8年 1631年 幕府、新地寺院建立を禁止する(新地建立禁止令)
寛永 9年 1632年 加藤正次歿(境内に墓碑現存)
寛永17年 1640年 寺請制度の確立
万治元年 1658年

4月8日、利生院日幸上人により當山開創

不受不施派の小湊誕生寺(千葉県)と本末関係を結ぶ

元禄 2年 1689年 5月21日、開山・日幸上人示寂
元禄 4年 1691年 幕府、不受不施を禁止す
元禄 8年 1695年 2月8日、四谷伝馬町より出火し當山焼類す(『武江年表』)
元禄11年 1698年 不受不施法乱。小湊誕生寺・日明、遠流となる
元禄年中

1688年~

  1703年 

庶民の間で寺社詣でが盛んとなる

當山の檀徒家次第に増加す

享保元年 1716年

徳川吉宗、8代将軍となる

「享保の大改革」

享保17年 1732年

「享保の大飢饉」

 5世日亮上人・6世日養上人、庶民救済に奔走す。

檀徒家増加す

宝暦 3年 1753年

11世日繁上人、境内に鎮守堂を建立し、

日蓮聖人開眼の客人大権現を安置す

宝暦 6年 1756年

隣接寺院(清徳寺、現杉並区)より出火。

當山焼類。諸尊像は無事

宝暦10年

  1760年

江戸大火。當山焼類。諸尊像無事。

「旧記焼失」(『文政寺社書上』)はこの折のことか

文政11年 1828年

3月、18世日潤上人、『寺社書上』を提出

本堂「六間、奥行五間」。安置する尊像は25躯(木像)

文化文政

化政年中

1804年~

 1829年

江戸文化、庶民信仰隆昌す

當山への参詣人あとを絶たず

慶応 4年

明治元年

1868年

江戸幕府崩壊。明治維新政府樹立

神仏分離令が出され廃仏毀釈運動ひろがる

明治10年 1877年 26世日正上人『寺院明細簿』提出
昭和20年 1945年

空襲禍によって山門を残し諸堂宇焼失。

ご本尊・祖師像・過去帳は無事

昭和39年 1964年 現本堂落慶
昭和56年 1981年 現客殿・庫裏落慶
平成14年 2002年 永代供養墓建立
平成23年 2011年 3月11日、東日本大震災。境内東側塀危険となり新設
平成26年 2014年 ペット供養墓建立。
平成29年 2017年 納骨堂完成